- 2021/10/23
- Category : タソッジャン(SUPER FIVE)
2021.10.12 日刊スポーツ記事【オク・ジヌク】
ドラマ「だまされても夢心地」放送終了後、10月12日に掲載された日刊スポーツの記事です。
タソッジャン(タソッチャン)での収益についてやお金の使い方など、他とは少し違った質問もあります。
オク・ジヌク「名前三文字がTVに出るなんて、高価な贈り物のようだ」
>>http://isplus.live.joins.com/news/article/article.asp?total_id=24153799日本語訳です。
夢見ていた道を少し遠回りしただけ、自分の場所に来た。俳優オク・ジヌクの経歴は少し異色だ。人々は彼をトロット歌手だと認識している。TV朝鮮”ミスタートロット”出演者、MBC”最愛エンターテインメント”が作った5人組トロットアイドル”タソッジャン”のメンバーがより慣れ親しんだ肩書きだ。しかし俳優なのだ。去る(10月)1日終了したKBS1連続ドラマ”だまされても夢心地”で待望の俳優の肩書きを加えた。
ー俳優としてついにデビューしました。
「タソッジャンの活動を終わって学生に戻り、ドラマのオーーディションを受けました。合格は考えもしなかった。事務所からドラマをすることになったと聞いた時信じなかった。オーディション当時100%できたという確信もなかった。謙遜ではなく『どうして私を選んだんだろう?』と思いました。撮影に入りながら、後悔なくやろうと決意しました。始まってみて、助演または脇役のはずなのに、私の名前三文字がTVに出たので高価なプレゼントのようでした。」
ー歌手ではなく俳優が夢だったと聞きました。
「子供の頃からミュージカル俳優になりたかった。ロールモデルもチョ・スンウ、チョ・ジョンソク先輩です。芸大に進学して多様な演技に接しましたが、当時もミュージカル俳優は最終目標のようでした。除隊後、JYPエンターテインメントで俳優として合格しましたが、部署が解散されました。勉強でもしようと思い学生生活をしましたが、JYPで演技担当をしていたお姉さんから”ミスタートロット”参加の提案を受けました。」
ー俳優から歌手への転向はすごいことです。
「そうです。実はトロットは接したことがないジャンルで、進路を変えるくらいにとても悩みました。しかし除隊後で何でもしなくてはという気持ちがより大きく英断したようです。”ミスタートロット”参加を前に『歌手のイメージがついたらどうしよう』と悩みましたが、杞憂でした。むしろトロットが好きな学生として多くの人が知ってくれて、とてもよいポジショニングでした。」
ー”ミスタートロット”の後またトロットバラエティー”最愛エンターテインメント”に出演しました。
「私もやはりトロットをまた歌うとは思いませんでした。”ミスタートロット”の後、5ヶ月くらい過ぎて連絡を受けました。またトロットをしたら、俳優の夢が遠ざかるのではないかと心配しました。その時、イ・チャンウォンと電話で話したのですが、単純に説得されました。『トロットする時、気分はどうだ』と訊かれて『面白い』と答えたら『なら、すればいいだろ』と言って決定しました。以降にチャン・ユンジョン会長が家に訪ねてきてメンバー達ができました。後悔ない選択でした。」
ー”最愛エンターテインメント”同期の”タソッジャン”とは親しくしているか。
「もちろ〜ん。コロナが酷くて会うことが出来なくてもグループトークで連絡をよくします。(チュ)ヒョクジン兄さんと自転車もよく乗ります。チャン・ユンジョン会長が少し前にドラマをよく見たと連絡がありました。」
ーご両親の反応も気になります。
「ドラマをしたので、とても誇らしくされます。ドラマ出演以降に両親が周囲にご飯をたくさん奢ったそうです。祖母も”ミスタートロット”の時から、孫を見たと言えば、そのようにしきりに何か奢ります。孝行というのは、漠然とお金をたくさん稼ぐことだと思っていましたが、家族に幸せを与えることも孝行だと気づきました。」
ー”だまされても夢心地”のインソに共感したか。
「クム・インソという子は20歳で浪人している二卵性双生児です。自尊心も低く、勉強も意味がなく、やりたい事がない子です。インソは単純に一人の人物ではなく、現在の20代を代表しています。作家さんがインソを通して、勉強ではなくても夢を持つことができ、幸せになれることを見せてくれたのではと思います。」
ーインソのキャラクターに共感した面があるとしたら。
「作家さんがあらすじをくれて、キャラクターの80%くらいを知らせてくれました。ジヌクがインソのようだと言ったのですが、本当にそうでした。インソは両親に優しい娘のような息子ですが、実際私もそうです。兄が典型的な釜山男で、私は娘のようです。また進路の為に彷徨った時期も十分に共感しました。周囲の友人達と共に何をしなくてはいけないのか、共に彷徨いもしました。そのような点でこの子(インソ)は私と似ている子だという思いがしました。結局私もインソのように勉強ではない事を選択しましたが、十分に幸福です。」
ー演技しながら悩みはなかったか。
「どのようにインソを演技するかより、どうやって本当のように見せるかを悩みました。インソはすでに私にある存在だったからです。違う点があるなら、性格が限りなく優しい。私は少し怒りますから。ハハ。」
ーリュ・ジン、パク・タミと息を合わせた。
「作品で会っただけなのに、本当の息子にようにとても気遣ってくれました。私にとって初のアッパとオンマです。今もアッパ、オンマと呼びます。撮影の間とてもよくして頂いて、オンマは自炊しているからと、キムチ、おかずと化粧品を送って下さった。インタビューを前にオンマのPOLATAMパックをしてきました(笑)。リュ・ジンアッパは少し前、秋夕の挨拶をしたら、肉を食べに来いと言って、本当の息子さんと一緒に買い物もして、ご飯も食べました。松島(ソンド)からソウルの家まで送ってくださいました。」
ー連続ドラマに出演して一番難しかった点は。
「セット撮影で顔を合わせて撮影する時、私の台詞の時ではなくても相手に感情を伝えなくてはならなくて、とても疲れました。また、切って行く演技を初めてしてみて難しかった。俳優が大変な職業だとわかった。実は大変だったことより、初めてで学んで感じることがもっと多かった。」
ー”タソッジャン”または歌手活動はもうしないのか。
「俳優を夢見た時は『どうして歌手をするのか』と思った。歌手をした時は『俳優にまた戻ることができるのか』と思った。俳優を夢見たと言ってバックステップではない。歌手で2ステップを踏んで、演技で前に一歩更に進んだ。私はもう歌手もして、演技もできるポジションが出来た。タソッジャンは永遠に消えたのではない。更に成長して、また歌手としてカムバックもできます。」
ー”タソッジャン”で収益はあったか。
「お小遣いのように最近入ってきました。母親にお小遣いをあげる好機に音源の収益が入ってきました。できるだけ両親の助けを受けないようにしています。社会服務要員の時、月給を貰って生活して一月22万ウォン積立をして満期後に母親に差し上げました。今も家賃だけ少し援助を受け、生活費は自分で稼いでいます。幸いに遊興も好きではなく、株式やビットコインのような投資も怖くてできません。失うことを考えると怖くて賭けビリヤードもしません。」
ーお金を稼いで何をするか。
「さあ?きっと何に使うというのはありません。Netflixも家族ので見ます。ただ以前はお金がなくて団体チケットで観覧していたチョ・スンウ先輩のミュージカルを、今は少し大きなお金を使って見ようと思います。」
ーこれからの計画は。
「一分野に限定して活動しません。作品のオーディションを地道に受けています。アルバムを出すこともあるでしょう。一生懸命でき、幸せにできるなら、なんでもするつもりです。準備をよくして、さらに良い姿をお見せしたいです。」